「繭 2020 gekilin.」
何百個の繭に鉛を入れ込み、床に展示する。この繭の主は蚕蛾である。それは家畜虫であり自然界では存在しえないとある。人のためだけに働きかける反自然な生物である。
私も過去に自分のまわりにこの繭シールドが欲しいと思ったことがある。パニック症と名前が付いた病気の時、それは公共的場所の恐怖があり、公共的空間から私的空間に瞬間移動を欲していた。
この繭たちも外的空間の遮断において成長や変身が促されるが内空間が開かれるとき、それは死を意味する。繭も鉛も、生のための防御であり死の入口でもある。
「殻セミと真珠 2020 gekilin.」
殻セミとは本体が抜けた表面だけのセミである。その表面の内に白い紐状の物体がそれと繋がっているのが見える。これは内臓の抜けあと。殻セミは表層だけがあるのではなく、本体の内にある臓器が反転してそれと一緒にある。入り組んだ内空間である。
過去に、私の前にいた女性の舌先にはアクセサリーがついていた。お話ししながらも彼女の舌は、内ほっぺや歯の裏、口内を常にまさぐり続けていた。自らの存在の確認を内側からするように。腹痛の様な内側からの自覚を苦痛としてではなく、快楽として経験しているのだろう。
このようなことを考え、内にある入り組んだ構造に快楽の真珠を設置した。
制作初期のころから表面だけの彫刻を制作し、近年まではPigskin(豚真皮)での身体表現を続けた。最近、日本でPigskin(豚真皮)を唯一生産している会社が閉鎖し、素材を使用することを断念した。使用始めたころ、命が貨幣に変換されていると感じなが購入していた。
Pigskin(豚真皮)は手術時の体を縫う「溶ける糸」と使用し、今私の身体と同化している。そのような性質の作品は自己としてあり鑑賞者には「親しみと嫌悪」を同時にもたらす。「生と死」が瞬間的に感じるからだろう。
その先に「繭 2020 gekilin.」と「殻セミと真珠 2020 gekilin.」がある。
2020・12 加藤隆明