物も人もどんな行為も全て同じ景色の一部で、
努力も苦労も関係なく厳しく平等に終わりがくる。
終わるまでの間に、見落としそうな場所で物凄い何かが起きていたり、強烈な生が存在していた事実を伝えたくなった。
運よく出会い見つけたキラリと光る瞬間を、
できるだけ鮮度の高いドキュメントのように提示したいのです。
ですので、手を加え過ぎない「絵の具を置く」感覚で描画したり、
「壊したキャンバス」「ゴミ」などの「物」もコラージュし、半立体的に作り上げることもあります。
作為的になり過ぎることも不純として、偶然性や素材が持っている「間」を大切に作ることが重要なのです。
<津田修>
関西を中心に様々な場面での活躍を見せてきた
津田修による2年ぶりの個展となります。
津田は<死生観>をコンセプトに置き、絵画表現のみに捉われず多くの手法で形にしています。
それは様々な事象の生と死の境界線を、何を持って判断するのかを身近な出来事から追求しようとしているように見えます。
例えばネット通販で商品を購入した際、送られてくる梱包された資材たちは商品を保護するために必要な機能を果しています。
しかしそれが手元に到着した瞬間にこれらは過剰で邪魔なゴミへと変化します。梱包材が梱包材としての生と死を一瞬にして垣間見ることができるのです。
津田修の追及しようとする<死生観>とはこのような生→死へ切り替わる瞬間の刹那であり、または死とは何を持って死と認識するのかという提起から、それはつまり逆説的な「リアルさとは何か?」
を追求している姿勢をも感じさせます。
シュルレアリスム、ネオダダ、具体美術、もの派、と様々な美術ムーブメントの文脈を汲み上げながら生成される、津田修にとっての「リアル」をぜひご堪能ください。